Takashi Murakami
カイカイキキはアーティスト村上隆個人の作品制作スタジオから端を発し、アートを中心に派生する事業のマネジメント、ギャラリー運営まで規模が拡大し、現在は常時スタッフ250名前後(日本国外の支社社員も含む)、専属外注業者100名前後で構成される。
カイカイキキ前史1991~
1991年、カイカイキキ創業者の村上隆が「東京芸術大学大学院博士課程研究発表展:村上隆展」を開催。基本的には大学の校舎内の制作教室が制作所であったが、現代美術的作品を制作し始めてからはイエローページ(電話帳)と電話によって、素材業者、アッセンブル業者を探し合体しレディーメイド的な作品を制作していた。(ランドセル、バルーン、巨大オブジェ等)
そのため、アパートの一室で連絡をし、1日の大半は外回りをして作品の完成は展示会場で初めて見る、という形式となっていた。細かい作業は外注出来ないため、予備校の教え子達をボランティアスタッフとして、集団制作を開始する。
しかし、それもアパートに集まって、数百体のプラモデルを造る程度だった。
NYに渡航し、アメリカの美術状況を理解し、独自の作品を造るにはレディメイド的な作風であるとアメリカの作家に見劣りすることを感じ、手作業での細かい作業=日本人としての証のプレゼンテーションも大事であるとし、ハンドメイドな絵画作品を制作し始める。その際に、多くのアシスタントによる、絵画の集団制作形式が始まる。これは、「芸術家=孤高の個人主義者」という認識が大多数を占める日本美術界では特殊と受け取られ、多くの反発を生み、今もその逆風は収まっていない。また、西欧のアートシーンでもこの集団作業は当初、奇異の目で見られた。ミケランジェロ、レンブラント等の集団制作の歴史がある国々でも驚かれた事に驚いた。しかし、既に映画業界、アニメーション、ファッション業界等では一般的な作業形態であり、また美術史的に考察しても、江戸時代に一世を風靡した職人的絵描き集団「狩野派」が存在するなど、集団的芸術作品制作には歴史的必然性が認められるものであった。
History of Takashi Murakami
& Kaikai Kiki
1996
NYからの帰国後、「HIROPON FACTORY(ヒロポンファクトリー)設立。(埼玉県朝霞市「丸沼芸術の森」)6名の常勤スタッフで発足。とはいえ全員ボランティア、、、否、彼らに食わせてもらっていた。
三芳工場の工場長・シショウ、ペインティングアドヴァイザーの平田佳和はこの頃より手伝ってきている。
アーティスト、Mr. もこの頃のアシスタント。
1997
組織として本格的に始動。作品制作専用スペースとして”丸沼芸術の森”内にヒロポンファクトリー2号館を設立。「1号館=事務、コンピュータ系」「2号館=作品制作」と二分化。
1998
「ヒロポンファクトリーNYスタジオ」NY・ブルックリンに設立。
、、、といっても四畳半程のスペース。
2000
『SUPERFLAT』刊行。パルコギャラリーにて展覧会も同時開催。翌年には、ロサンゼルス現代美術館にて海外展がスタートし、シアトル、ミネアポリスを巡回。
2001
有限会社カイカイキキ設立。法人化。
東京都現代美術館にて個展「召喚するかドアを開けるか回復するか全滅するか」。この展覧会を機に、制作部門とともに、オフィス業務専門のスタッフを雇用し始める。プレスの対応が煩雑になり、作品制作に集中できなくなってきたため。現在、カイカイキキのNo.2の笠原ちあきはこの頃より働き始める。
2002
パリ・カルティエ現代美術館にて個展「Kaikai Kiki」とキュレーション展「ぬりえ」展(SUPERFLATトリロジー第2弾)
あまりの激務に数十名のアシスタントが一気に辞める。
ルイ・ヴィトンとのコラボレーションが始まる。
前年に東京都現代美術館で開催した”芸術道場グランプリ”が前身となり、「GEISAI#1」を開催。2014年春で、20回目を迎え、現在は同名でグラフィティアーティストの展覧会を開催。
2003
ニューヨークのロックフェラー・センターでの個展
「二重螺旋逆転」。
2004
「カイカイキキアニメーションスタジオ」を代官山に設立。
(現在は業務はスタジオポンコタンに引き継がれている。全てCGアニメーション。)
2006
AICA(国際美術評論家連盟米国支部)より「Little Boy」展が「最優秀テーマ展覧会賞」に選出され、「SUPERFLAT」シリーズが世界言語となる。
ニューヨークオフィスとスタジオを、ロングアイランドシティの現在のスタジオ兼オフィスに移転。日本でもヘッドオフィスを朝霞から港区元麻布に移転。デザインルーム、アニメーションスタジオも統合。
2007
村上隆の回顧展©MURAKAMIの世界ツアー開始。
世界4都市をめぐり2009年に終了。
2008
埼玉県入間郡三芳町に現在のスタジオを設立。グッズ流通センターも併設される。
カイカイキキ元麻布オフィスのB1FのKaikai Kiki Galleryが本格稼働。国内外のアーティストを招聘して数々の企画展を開催。
中野ブロードウェイに初めての店舗 Kaikai Zingaroを構える。
2010
ヴェルサイユ宮殿での個展「MURAKAMI VERSAILLES」開催。
中野ブロードウェイにHidari Zingaroオープン。
Kaikai Kiki Gallery Taipeiオープン。(2012年クローズ)
2011
東日本大震災支援のため台湾において赤十字活動を行なう中華民国紅十字会へ55,886,376円を寄付。new dayオークションをNYクリスティーズで開催。$8,756,100の義援金を笹川平和財団USA、GlobalGiving、International Medical Corps(国際医療隊)へ寄付。
札幌にアニメーションスタジオであるスタジオポンコタン設立。
中野ブロードウェイにpixiv ZingaroとOz Zingaroオープン。
2012
ドーハで個展「Murakami – Ego」Al Riwaq Exhibition Hall。
100mの五百羅漢図を展示する。
Hidari Zingaro Berlinオープン。(2014年クローズ)
2013
映画「めめめのくらげ」公開。
ゆずのオリジナルアルバム「LAND」のジャケットを描きおろす。
中野ブロードウェイに初めてのカフェBar Zingaroオープン。
2014
東京新スタジオ「VFX PONCOTAN」発足。
new day基金による「はじまりの美術館」が福島県猪苗代町オープン。
「めめめのくらげ」北米巡回。
中野ブロードウェイ内にイベントスペース「Zingaro Space」をスタート。
2015
・ユニセフとの教育推進プロジェクト「1 in 11」チャリティーオークションに参加。
・VANSとコラボレーション。スニーカーに加え、アパレルウェア、スケートボードのデッキも展開。adidas OriginalsとPharrell Williamsのコレクションから「Supershell(スーパーシェル)」が登場し、Mr.のアートワークが施されたシューズもリリース。
・日本で14年ぶりとなる個展「村上隆の五百羅漢図展」を森美術館で開催。
・中野にアニメーションスタジオである PONCOTAN KaikaiKiki Nakano を設立。
・京都にオフィス、ギャラリーをオープン(ギャラリーは2016年3月クローズ)
2016
・国内外で蒐集してきたコレクションを初めて開陳する「村上隆のスーパーフラット・コレクション ―蕭白、魯山人からキーファーまで―」を横浜美術館で開催。
・『第66回芸術選奨』文部科学大臣賞(美術部門)を受賞
中野ブロードウェイにギャラリーのバックオフィスOffice Zingaro Yokochoを開設。
TVアニメ作品「6HP」をTOKYO MXにて放送。
コスメブランドshu uemuraとのコラボレーション で、クリスマスコレクションを発売。
2017
十和田市現代美術館にて陶芸にまつわるコレクション展「村上隆のスーパーフラット現代陶芸考」を開催。
オスロのアストルップ・ファーンリ現代美術館にて個展「Murakami by Murakami」を開催。
シカゴ現代美術館にて個展「The Octopus Eats Its Own Leg」を開催。
その後、2018年にバンクーバー美術館、フォートワース現代美術館に巡回。
モスクワのガレージ現代美術館にて個展「Under the Radiation Falls」を開催。
ボストン美術館にて「村上隆:奇想の系譜 辻惟雄とボストン美術館のコラボレーション展」を開催。
バッファローのオルブライト=ノックス美術館にて個展「The Deep End of the Universe」を開催。
六本木の森美術館で開催された「THE ドラえもん展 TOKYO 2017」に参加。
2018
ロンドンのガゴシアンギャラリーにて「future history」を開催。
ヴァージル・アブローとのコラボレーションを披露。
ニューヨークのペロタンギャラリーにて個展「”Heads↔︎Heads”」を開催。
Artworks
各アーティストの作品については、Kaikai Kiki Galleryのウェブサイトをご覧ください。